Tさん 40代、2年目
家計簿は生活、性格が良く見えます。
つけ始めた初年は、教育費が高過ぎる!お酒代が高過ぎる!の気付きがありました。2年目もお酒代が減らない!(コロナのせい?!)と悩みつつ、無駄な外食を減らせた!という喜びも。また、教育費を調整できつつある!と思っています。
Kさん 90代
私が初めて目白の講習会に行ったのは、25歳で、書店で一冊ぽんと置いてあった婦人之友に出会ったからでした。ある方から、羽仁先生の家計の考え方―家計も公のお金で大きい視野で人生の歩みのどこに今を生きているかをとらえて考え、予定生活と共に予算生活をすることーを学び、友の会に入会したいと思いました。
食グループで学び、大先輩からは食材の値打を生かすのが毎食の料理だと教えこまれて、今日92才の寿命を頂いております。大勢の友人と励む生活が根幹をなしていることは幸せのもとです・感謝
Hさん 70代 42年目
結婚6年目、婦人の友から友の会と出会い、質素なやりくり家計が、予定と予算のある生活に舵を切りました。家庭も公のものとの考えが清々しく、再出発したようでした。
夫・子ども達と 暮れの予定を30日までにすませ、大晦日の昼は揃って外食。午後の決算を経て、正月は夫や子供たちと決算報告と予算会議の時を持ちました。予算と決算は、家族の成長が数字に表れ、長く付け続けた事の感謝が溢れます。
Fさん 40代 4年目
4年前に友の会に入会するのと同時に、羽仁もと子案の家計簿を使い、記帳を始めました。
それまでも紙の家計簿、スマホのアプリの家計簿など、いろいろ試していましたが、なんだかすっきりと管理できず、家計簿の意味を見出せずにいました。
それが、友の会の家計グループの集まりや、最寄で家計簿記帳のやり方を一から教わり、ここまで徹底的に家計簿をつけるのか!と目から鱗が落ちる思いでした。また、家計についての大きな考え方を学ぶ中で、なぜ家計簿での記帳が必要なのかが本当に腑に落ちて、家計簿付けができるようになりました。
とはいえ、途中介護やPTAの活動などで多忙を極め、家計簿がつけられない時期もありました。それでも最寄の方たちが温かく見守ってくださったこともあり、今年に入って家計簿付けが軌道に乗ってきたと感じています。さらに、夏にkakei+を利用し始めたことで、苦手な計算のミスがなくなり、後から見つけた領収書を追加することも簡単にできるようになり、家計簿記帳が楽になりました。
まだまだ先輩方のように、家計の全容をきっちり管理するところまでいっていませんが、少しずつ自分のペースで進めていければと思います。
Nさん 40代 5年目
母が家計簿をつけていたことから、子供時代の小遣い帳に始まり一人暮らしを始めた10代の頃から家計簿をずっとつけ続けています。そんな私が友の会の家計簿に出会ったのは5年前。家計を予算から考えるシステムに目から鱗が落ちる思いがしたのを今でも思い出します。予算から未来の家計を把握することで、将来のお金に対する不安が軽減されつつあります。
Mさん 50代
子どもが小さい頃から家計簿をつけたいと思いつつ転勤などで続けることができませんでした。
このままではいけないと強く思ったのは、教育費の山(ダブル受験)が迫ってきたことと、夫のクレジットカードでの出金が会社立替と私用にまたがり、家計の口座から引き落とされ、その管理に長年、頭を悩まされ、どうにもならなくなったからです。覚悟を決めて、わかるまで、先輩に教えてもらいました。つけ始めてまた、わからないところを質問、根気よく教えてくださった最寄の先輩に感謝です。夫を変えるのは無理と思っていましたが3年くらいかかって、クレジットカードの引落しを別の口座にしてもらい、すっきりしました。家計簿をつけるまでは、いったい何に使ったのかなと思うような時も多々ありましたが、今ではそんなこともなく、生活の基盤が出来たような気がします。
Oさん 70代 46年目
私は、12月に結婚し、クリスマスプレゼントに義母から、婦人之友社の書籍と家計簿をもらいました。
早速1974年1月、解説を読みながら家計簿をつけ始めました。まずはつけて来年は予算を立ててね、と言われて、4月に妊娠がわかったので、養育費等、予定を考え精査して予算をたてましたが1975年予算は散々でした。又年収位の生活準備金を、と言われ、貯蓄し、その後は安全な国債などで利殖もしました。
教育費の山も、予定になかった住宅購入も、すべて予定に基づく予算生活をすることで乗り越えてきたと思っています。現在友の会の友人に刺激を受けながら静かな年金生活を送っています。
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